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【日いづる国より】中山恭子氏との対談~三宅博、国家観と国民保護の喪失は教育界の腐敗から


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StartFragment解説(発言内容) 中山・・・今週は先週に続きまして前衆議院議員三宅博さんにお越し頂いています。      三宅さん、お越しいただいてありがとうございます。      先週も非常に核心をついたお話をありがとうございます。      拉致問題もちょっと中途半端で先週終わってしまったところがありますが。 三宅・・・それはやっぱり最終的には任に当たる方の覚悟があるかないかということが一番解決を左右すると思いますね。      中山先生がウズベキスタン、あれいつでしたか。 中山・・・1999年ですね。 三宅・・・そうですか、17年前になるんですね。 あの時にですね。       特命全権大使でいらして尚且つ中山先生は官僚でおられたわけですね、まだ政治家じゃない。       決断力とか実行力は政治家の要素といわれるのですが、       官僚出身で尚且つ特命全権大使として行かれて日本人の拉致事件、人質事件ですね。 中山・・・ああ、人質の4人ですね。 三宅・・・あの時に見せられた行動と覚悟といいますか決断ですね。       これを拉致事件解決の任にあたる当事者の方々が持てばもっとスムースに解決に繋がると思うのですが、       全くそういうところが見受けられない。        あの時は中山先生、どんなつもりで行かれたのですか? 中山・・・でも、大使ですから日本の国を代表する立場でいる限りはですね。       その自分の管轄下で日本人が殺される、もう殺していくということがハッキリわかっているわけですから       それは放置できませんでしょう、大使として。       日本の方が海外に出て何か被害があった時、訴えることができるのは大使館しかない、わけですから。       大使館は国の出先であり国家であり、日本国家として考えれば被害にあった人を当然助ける、       これが国の使命ということは当たり前のことだ思います。 三宅・・・ ところがね、私は各国の大使をはじめ、その外務省の大使館の方たちはどうも勘違いをしているのではないかと。       そういう風な責任の重さというのを果たしてどの程度自覚されているんであろうかと。       これはまあウズベキスタンの人質の事件もそうですが、多くの外務省・大使館員の方たちは各国の大使館の方々と       ワインを飲みながら談笑して人間的関係を深めるていくのが自分たちの仕事であって、       在留邦人の安全を図ったり名誉を護るという、そこに考えが至っていないのではと思って仕方がないですね。 中山・・・その時もですね。救出は事件の起きた国にすべて任せよ、というのが本国からの指示。       ですから日本は敗戦のあとずっと、海外で日本人が被害にあったら日本国がその人たちを護るのではなくて、       被害にあったその事件が起きた国にすべてを任せる、これが戦後の日本の国としての方針。       独立国家の意識がない。非常にその時はそのことを痛感して・・・。       ですから本国からの指示とは別に大使の責任で動くしかなかった、というのが今の日本というの国の現状ということです。 三宅・・・言ってみればね、中山先生は本国の訓令に背いて行動したという風に言われても仕方がないようなことですね。 中山・・・仕方ないでしょうね。私自身も失敗する可能性もありました。 例えば失敗するという場合には相手の銃の中に入っていつ撃ち殺されるかわからないわけです、       なんであんな女があそこで命を落としたんだろう。      勝手なことをして命を落としたという風に日本の中では報道されるだろう、そこまで覚悟はしました。 三宅・・・この倒錯した部分は、自国民を護ろうとすれば本国の指令・訓令に背いて自分の責任においてするしかなかった。      こんなバカな話がなぜ起きるのかと思うと不思議でならないのですよ、私は。    中山・・・今、「国家」という単語を平気で使ってますでしょう? 「国防」という単語も使えます。      でも日本の中で「国家」という単語を公の場でつかったのはですね。      2002年、5人の被害者が日本に戻ってきた時、国家の意志で5人を残せと、5人が残りたいから自分の意志で残りたい、      それを認めるのではなくて、国家の意志で日本国として拉致被害者がどんな理由があるにせよ、      日本の土を踏んだ以上帰してはならない、ということです。      日本に留めるという国家の意志であって。      あの時ものすごい非難が全国から届きました。      国家という単語を使うことがけしからんという、ビックリしましたけど。      日本の現状はそういうことだったのです。      ウズベキスタンの人質4人の救出はキルギスの通訳を入れて5人ですけれど、救出の時には国家としての動きではない、      大使の責任で動くということをハッキリさせた上で行動したのです。 三宅・・・今ですね、アメリカ等で慰安婦像が韓国によって造られて、      そのことによって日本人の子弟が学校でいじめられたり殴られたり、      それを助けてくれといくら言っても彼らは全く動こうとしない。 中山・・・動きませんね。 三宅・・・それは彼らはそれを自分たちの仕事の範疇に入っていないと思っていると思うんですよ。 中山・・・やってはならないと思っているくらいに考えているかも知れませんね。 三宅・・・それが一般の国民の常識とかけ離れるんですね。国民は大使館員に助けを求めないとどこに求めるんでしょう。 中山・・・そうです、他にないはずです。 三宅・・・これね、やっぱり戦時中からそういう部分があったと思うんですね。        大使館の連中であったりとか戦時中の軍人の中にも、特に軍人の場合は自分たちの務めは国家の権益を護るという、      領土とか或は資源であるとか。これが自分たちの仕事で、国民を護るという意識がなかったのではないかと。 中山・・・国民を護るとか国防という単語を遣うことすら2002年の時まで日本では許されなかった。 三宅・・・今日はたまたまこんな資料を持っているのですが、終戦の際に満州に多くの在留邦人がおりましたよね。      その時にシナ派遣軍から蒙古におられた根本博中将に「武装解除してソヴィエトに降参しろ」と。      根本さんはそれをしなかったのですね。      それは在留邦人を護らなければならないと、今ここで武装解除するとそれが出来ないので私はそれをしませんと。        それが軍令の電報でそういうことが派遣軍から根本さんにそういう電報がいったのですが。      厳命するということでこの根本博さんですね。      シナ派遣軍から「武装解除して直ちに降参しなさいと厳命する」と。      根本さんは老幼婦女子を護るためにはいかに総司令部の命令であろうとも私は守りませんと言って。        結果的に根本さんがご自身が管轄されるところの在留邦人を無事に、      飢えることもなく危険な目に合うこともなく連れて帰ってこれたのですが。       無傷の関東軍が何も考えずに武装解除した挙句、結局満州にいた100万人以上の在留邦人が大変な目にあった。           根本さんは蒙古とかウイグルとか蒙彊軍にいたのですが。      ここにもさっき中山先生が仰ったように大使としての責任・自覚・覚悟が全然見抜けなかったのではないかと思い出しました。 中山・・・ただ大使に怒りをぶつけてみても仕方がないのかも知れない。日本の考え方、政府の指示というのがあるわけですが、      根本中将のようにそれを押しのけてでもみんなを護るという、・・・私も同じでしたが・・・ その覚悟をせよと言ってもなかなか大変なことです。 三宅・・・特に軍人が上官の命令に逆らうということは軍人としての一番の責任を放棄するということ、 それよりも邦人の命を最優先された。根本さんの覚悟・行動と、      中山先生がウズベキスタンでお見せになった覚悟と行動、非常に私はダブるんですね。       本来そういう地位にあって海外でですね、その任に当たる方はその覚悟と行動・決断を示さなければならないのにと思いがしますね。 中山・・・やっぱり一番の問題は日本という国がおかしなことをずっと敗戦のあとですね、      独立国家として当然のことをやってこなかったということ。      これは本当に情けない。      なんていう国になっちゃったのだろうと随分本当に悲しかったことがいくつも、拉致問題もそうですが。 三宅・・・本来ですと教育ですね、そういった常識を教えなければならない。 中山・・・要は教育の問題です。 三宅・・・最終的に解決するのはね。      ところが子供たちに国民としてのそういう健全な考え方であるとか国家の有難さとか教えるべき教科書がですね。      まあそういった本来の目的からかけ離れて贈収賄でずっと教科書採択といいますか、      過当な販売競争の中でおカネを遣って教科書が各小中学校、或は高校ですね。      各地方の教育委員会に対して過当な販売競争の中で、贈収賄がずっと行われてきたということが昨年の秋に発覚しまして、      この問題に対する取り組みも文科省が何を考えているのかと思えて仕方がないのです。       本来ですと金銭の授受とか物品の提供・饗応、こういったことをして教科書採択を左右するということがあってはならない事なんですけれども、 それが長年に渡って行われてきた。      尚且つ発覚してからも文科省が教科書会社に対して全く厳しい姿勢をとろうとしないんで、不思議で仕方がない。      私たちはこれを「増収賄事件」であると、ひどい場合はひとり5万円の謝礼を払ったとか。      もし政治家が、5万円の謝礼を払ってそれを受け取ったらですね、或はまた中山先生がね。 中山・・・5万円皆さんに渡して「票を集めてください。」と言ったらこれは・・・。 三宅・・・もう議員として失職して公民権停止になるでしょう?          ところが公務員はこういう風な多額の金品を授受しながら贈収賄に問われないというのはおかしくて仕方がない。       贈収賄事件であると告発をしたのですが、検察のほうがなかなか難癖をつけて受理しようとしない。 中山・・・そうですか・・・。 三宅・・・我々は大阪地検のほうには大阪としてやっておりますし、東京は東京で東京地検のほうで告発をしているのですが       両方ともまだ受理してくれないのですよ。 中山・・・教科書は特別だと考えているのでしょうかね。 三宅・・・これは背後に相当大掛かりな構図があるからそれを恐れているのではないかと思いますね。 中山・・・これまで日本はずっとその形が続いてきていますからね。本来の国としてはとてもおかしな形になっています。 三宅・・・特にね。昨年に教科書問題が発覚して今年の2月1日に「全国の都道府県教育委員会連合会」の会合があったのです。      これは年二回するのですが27年度の第2回の総会でして。        そこで文部科学大臣の馳さん(当時)がご挨拶をしているのです。      ここでビックリするような挨拶を馳さんがしたのです。      それは冒頭は建前を仰って「教職員の場合には基本的に都道府県の教育委員会そして教育長が服務規定に基づいて      地方公務員の法律に基づいて何らかの対応が必要であると思います。」と建前を言っているのですが、そういうことをしてはいけませんよ、と。        或はまた地方の教育委員会に適切に対応していただきたい、と自分の責任を放棄するようなことを言っているのですが。      その後でこういうことを言っているんですね。      「本音を言えば 教科書会社、彼らの営業活動も裏支えといいますかしっかり支えてあげる必要があると思っております。」      尚且つ「その上で今まで暗黙の了解のもとでやってきたやりかたは絶対ダメですよ。」      ビックリするようなこういう挨拶を馳さんがしているんです。 中山・・・ええ? 三宅・・・馳さん、あまり深く考えずに仰ったのではないかと 中山・・・文科省の中でそんな話がなされていたんでしょうかねえ。 三宅・・・端無くもその実態の深さ、闇の深さが表れているなあと思うんです。      「裏支えをするとか、しっかり我々は、」などある程度やっても仕方ないと、とんでもないことを言っているのです。      この資料が私に入ったこと自体も文科省の中でそれなりに義憤を感じる人が送って頂いたのでしょうね。 中山・・・不思議だと思うでしょうね、まともな方は。 三宅・・・何でこんなものが私が請求した資料の中に紛れ込んでいるのかな、と不思議でしょうがなかったのですが。           文科省が教科書の贈収賄事件の「この資料を送ってくれ」とかずっとやっていたんですね。      義家副大臣は教育の現場に詳しい方でしてね。義家さんともいろいろとやりとりをやってきて「ここで根絶をしなければならない」と。 中山・・・おカネで教科書を決められるなんてね・・・。 三宅・・・その教科書には、「皆さんは法律を守り約束を守り良き社会人になるんですよ」と書いている。      その教科書、カネで贈収賄で決まっている教科書で子供たちに良識を教えるのは土台無理な話なんですよね。      私は贈収賄事件にかかわる全容を何とか解明したいなと思っているのですが。      文科省の教科書担当官とやりとりしていますと        文科省の担当官が「公務員の倫理規定に違反するような行為について」と言うんですね。      あれっと思って「ちょっと待って、公務員の倫理規定の違反の問題ではないでしょう?これ、あなた」と。 中山・・・先生方が教科書を決める時におカネで買われているということですね。 三宅・・・しかも教科書の調査員とか選定委員のみならず教育委員・教育長、こういった方々も貰っているんですよ。 中山・・・そうですね、皆さん入っているんですね。 三宅・・・「公務員の倫理規定に違反する今回のこの事案について」と言うので      「ちょっと待て、それは違う。今回は贈収賄の事件だ。あなたがたは認識が甘すぎる」と言うのですが。      なぜ彼らが「公務員の倫理規定」を盾にするかというと公務員の倫理規定では貰ったほうは罰することができる、      贈った方は公務員倫理法で罰則はない。教員などは処分されているが、文書での訓告・戒告・厳重注意とかこういったことですが。     贈賄側の教科書会社が全く処分されていない。      あ、彼ら文科省は「公務員の倫理法」で幕引きを図ろうとしているなと。      それは贈賄側の会社を取り調べたり贈収賄で立件しようとすると、相当大掛かりな構図が浮かびあがってきている。      ひょっとしてその中に文科省も入ってくるのかもわからないと。      彼らは教科書会社を護っているのではなくて自分たちを護っているのではないかと私は意地の悪い見方をするんですが。      成程そうして見ると彼らの行動は収賄側の教員にのみに罰則を適用したり公務員倫理法でしたり、      贈賄側にそれを適用しないので教科書側は非常になめきっているんですね。         「ある程度、適度な報酬は合法的にしませんか」、とまで言いきっているのですよ。 中山・・・そうですね、おカネを渡すのは禁止しようという動きが今年になってあったはず、それも何の決着もついていませんね。 三宅・・・今これから文科省のほうが教科書の検定に関して審議会にかけるというそういう段階ですね。      検定手続きの改善方策について、と審議会にかけようとするのですが。        どうも彼らの真意はここにあるんじゃないかとはたと膝を叩いた。 中山・・・またそれだけでなくて三宅先生よくご存知の「学び舎」の教科書、 あれはとても日本史などを見ても、本来の日本の歴史とは全く違う観点で書かれた教科書。 三宅・・・これは共産党系の教科書といってもいいと思うのですけれども。 中山・・・あ、まさにそうですね。 三宅・・・教育現場の教員、共産党系の組合が非常に強いところ。特に灘中など全国的に有名な進学校が呼応してやっているとしか思えませんね。       しかも内容がとんでもない、尚且つ「学び舎」の教科書が検定を通っているんですね。 中山・・・不思議ですよね。 三宅・・・南京で何十万人殺したとか「従軍」慰安婦の問題とか、ありとあらゆる戦時プロパガンダが。 中山・・・そのまんま載っているんですよね。 三宅・・・こういったものが文科省の検定を通っている。検定制度そのものに非常に特別な瑕疵がある。 それと共同採択という小さな自治体は5つぐらいの市町村で共同採択をする。      みんな無責任体制になってしまうんですよ。      人数も多いしどこが教科書採択の責任がどこにあるのかわからなくなっている。        この中の共同採択区域を教科書会社は特にそこを攻めて特定の教科書を。      教科書の市場というのは年間400億円、4年間で1600億円あるのですね。       特に東京書籍などですとそのうちの25パーセント、110億近い収益シェアがあがっている。      4年間で400億、その東京書籍は一番大掛かりな贈賄が上がっている。      全体で4000人近い教育関係者が接待を受けたり、その中では大相撲の観戦席のチケットとか、      あるいはプロ野球の年間の指定席とか、      そういったところで、金品・饗応・接待などありとあらゆる行為が行われてきた。 中山・・・しかも内容が良ければまだしも、全く史実と違う証拠とも全く違うことが平然と書かれていて非常に意図的な考え方が。 三宅・・・教科書の全体の中に於けるシェアのほぼ順序に比例した贈賄の大きさが人数とか総額が大きい会社を使っている。      カネのあるところは強いということになるんですね。      今年から使われている贈収賄で決められた教科書は4年間そのまま使われる、とんでもない。 中山・・・その4年間、子供たちは変えられませんから。その4年間で学んだ子供たちはそのまま大人になった場合の恐ろしさというのもあります。        子供の4年間取り返せるのかということです。 三宅・・・「文科省が4年後から厳しくする。」何を言っているんだと私らは思うのですがね。 中山・・・子供の4年間取り返せるのかと。まだまだ三宅先生元気で活動をお願いしたいと思います。 三宅・・・これからも中山先生のご指導を受けながら、国の大事な問題の解決の為にお力をお貸し頂きたいと思っております。 中山・・・いいえ、こちらこそよろしくお願い致します。ありがとうございました。 三宅・・・ありがとうございました。  (以上) 三宅の解説 両者の大きな違いは「公務員倫理規程違反」で処分されるのは金品や饗応を受けた教員側だけが罰せられるのである。 一方贈収賄事件の場合は当然贈賄側の教科書会社も取り調べられ、犯罪の構成要件が把握された場合、教科書会社そのものが罰せられるのである。 ひょっとして文科省は教科書会社が取り調べられた時に饗応接待を受けた教員のみならず文科省の一部の職員もこの事件に関わっていたことがばれるのを恐れているのではなかろうか。 合理的に考えて教科書の贈収賄汚職は長期間にわたって尚且つその規模が巨大であることを考え合わすとこの構造汚職の中で文科省も一定の役割を担っていたとしか思えない。 だからこそ文科省はそれを恐れて「公務員倫理規程違反」に矮小化し、自分たちにその類が及ばないように防戦しているのではないだろうかとうかがわれる。 今こそこういった癒着構造にメスを入れなくてはならないと思う。  EndFragment


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